ウェブログの呼び声
ブログサービスにも声質がそれぞれある。自分の声に合った場所をえらばなければいけない。
noteはおしゃべりな女の人の声、投げ銭制度もあり魅力的だったけど「自分の価値」の五文字が常に頭をチラつきそうなので今はやめておいた。ガールズバーのバイトに応募するのやめた時も同じ心境だった。
livedoorはおとなしいボソボソ声なのに 突然おっぱいを強調した女の子の広告がデロリと出てくるところにリアルな熱のあるキモさを感じて却下した。
フォロワーに教えてもらったブログ、Amebaかな?ボサノバを歌う女の声みたいでかっこよかった でもなんか、アプリを…使いこなせなくて…シンプルだったのに…
ボサノバといえば「おいしい水」のモノマネをするミラクルひかる面白いので皆さん違法視聴して逮捕されてください。
結局私の声に合ってるのははてなブログかなあ、と思ってここにした。ダミ声というか 休み時間の教室できこえてくる声ってかんじ、なんか雑じゃない?雰囲気の中に「どうでもよさ」が満ちている。それ重要。増田だか何だか、「社会」ができているのが怖くて敬遠してたんだけど、まあ面倒臭くなったら引っ越せばいいし いっか…ここで。がんばります。
***
以前もブログを構えていました、じゅげむブログ。あんまりスマホ向きではなくて読みづらかった。
自分自身もフォロワーも予測していたとおりそれはもうぱったりと更新は途絶えました。
我々はこの惨劇を繰り返してはならない、歴史に学ぶは人類の責務 ということで大反省会
まずもって自覚しているのは、「"満を持して感"への忌避からくるブログ更新停滞」これが問題
日々ツイッターで求められもしないのに思考をダバダバ書いている、さらにそのうえブログを書いてしまうとどうしても出てきちゃう「満を持して」感 、わざわざこしらえましたよみたいな あ〜ん恥ずかしい
耐えられなかった 耐えられないタイプ
昔からそうだった、満を持せない。いや、誰でもそういうものなのか?反射的にいろいろやるのは好きだけど文化祭で出し物はできない、やることが多すぎるから…
反射でやるより「出し物」をしたほうが、しっかり記録や記憶に残っていていいなあと思う
いいなあと思うならやらねばなるまい
ひとつシンプルに、「twitterでスレッドにするくらいならブログ行き」というのを決めて、ブログ及び文章を書くことの特別感を自分の中で減らしたいと思います。
2017年、一度文章の依頼をいただいて、お金をもらったからあれは「お仕事」で、まあ書かせていただいたんですけど、ま〜ダメだった、んじゃないかな、客観的に……私は結構思ったこと書いたなって気持ちで、後悔はないんだけど
ただ おれは…140文字の国の人間!!!!と思った 悲しみ
そういうの2018年、超えていきたいじゃない
矢沢はそう思うね…