骨折り損 RX

骨折ちゃんのブログ

勝手にふるえてろの感想

 

 「勝手にふるえてろ」、よかった。高校時代の友人・Kと見に行ったから相乗効果でよかった。Kは松岡茉優ではないが内面は十分にヨシカで、布団を電気ストーブで燃やした実績もある。見終わって開口一番「ヨシカが履いてたあの甲の浅いきったねえ靴、あたしも履いてた」と言うのでその同調は詩的で良いなと思った。

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今気づいたけど主人公の名前トシカじゃなくてヨシカじゃん

 感想ツイートの中で「我々のような人間は」というフレーズを二回使ったけど、正直「勝手にふるえてろ」の感想はこのワンフレーズで充分だと思う。我々のような人間は……。

 以下、感想にかこつけた自省

  大学にいた講師の人がめちゃめちゃ推しで、めっちゃ好きで、話題の端々から育ちとか性格とか思想を推測してあ〜〜はいはいはいそういうタイプのそういう人ね、はいはいわかるわかるわかるわかる、わかるぜ俺は…という感情の海に溺れていた。そういうわかるわかるわかるの海で溺れてちゃあんめーよという映画だった。

 わかるの海の者は「わかってねーやつ」が死ぬほど嫌い。タモリ倶楽部の面白さわかってねーやつ、賢ぶるのがダセーことわかってねーやつ、本能で動くことの愚かさわかってねーやつ、自分の価値のなさわかってねーやつ… 〈二〉は、そういう「わかってねーやつ」の代表。しかしわかり手を気取っている我々のような人間は、結局世界の真実どころか中学の同窓会における正しい振る舞い方すらもわかっていない。わかってねーやつらに対する嫌悪は、同族嫌悪というか、何でお前は正々堂々わかってねー存在でいられるんだというイラつき、または共感性羞恥*1から来ていると思う。

 わかるの人間はわかってねーやつが嫌い。だから同じわかる人間を好きになるか、もしくは相手に対する「わかる」をガスガス積み重ねることで愛の証拠とみなしがち。私が「わかってる」ってことをあなたはわかってくれるはず、そしたら好きになってくれるはず、って思考回路がある…のはつまり「私は誰かにわかられたい」ということか。わかられたいな。しかし先述した通り、本当は誰も何もわかってないので齟齬が生じ、「本当はわかっていなかった、わかられていなかった」と判明した瞬間にもうあああああ〜〜となる。昔の失態を思い出して頭を抱えながら出すうめき声というか、自分の心臓の壁がどんどん狭まって、それにはさまれてるときの擬音というか。

松岡茉優の「あああああ〜〜」は凄かった。あの「あああああ〜〜」は全ての「あああああ〜〜」経験者必見です。死にたくなってきた、死にませんが…

 この物語、もしBLだったら〈二〉の愛はもっと熱烈だよね。遠くの愛より近くの「まあ、好き」を取るのってBLだとそんなに無いかな。たぶんヨシカはこれから〈二〉を踏み台?ジャンプ台?にして世界と関わり始めることになると思うんだけど、BLでそういう「踏み台の恋」ってあんまり無……いや!ある!学園スポーツものの二次創作!地雷だ!でも男女物だとすんなり見れた  いずれ終わる男女恋愛、解釈合います。

 

 〈一〉は顔も言動もバリ可愛いラブだったんだけど〈二〉はキモいと萌えのボーダーラインの上に居る。渡辺大知の顔が割と好きだったから良いものの…どうですか?みんなどうでした?

 

*1:これも「わかるの海」の人間が勝手に作った言葉なのでは